「中国はまだ発展途上であり、住居の改善はあまり進んでいない」と説明された。その穴居生活の延々と続く車窓風景が、今どうしても私の脳裏から消え去らない。そしてその列車の食堂車で食した夕餐のおいしさも忘れ得 …
今年の年賀状は仕事とロータリー関係を除いて、またまた古い鉄道写真が登場することになった。いつも年賀状の企画を早めに始めようと思うのだが、今年も仕事用が12月30日、その他は31日の投函となった。近くの …
私は電車に熱中したことはあまりない。しかしこの「クモハユニ64000」は何とも気になる電車だった。 鉄道ファンなら知っていることだが、クモハユニの意味は「郵便荷物合造運転台付き電動客車」、つまり、クォ …
最初のコラム(2018.4.10.)で紹介した鶴居村営軌道について、釧路新富士郵便局が昨年2月10日から風景印を新規に使用し、そのデザインに鶴井村営軌道のディーゼルカーを採用している(別図)、との指摘 …
私の目の前をC57重連が客車をひいて走る。蒸気を上げロッドはめまぐるしく動く。私は並走する電車からそれを見つめる。私はどこにいるのだ? 重連の先頭はC5730。ん? 関西本線? 名古屋のカマだ。次位は …
今から50年前、1968年10月1日からの福井国体に行幸される両陛下のために、お召列車が運転されることになった。その内、10月2日の、越美北線の越前大野から福井までの行程には、福井機関区所属の大正生ま …
大学2年生の6月。大学の鉄道研究会の新部員集めが一段落した頃、東武鉄道に残っていた蒸気機関車が全廃され、さよなら列車が走るとの知らせが舞い込んだ。新聞によれば記念乗車券が前売りされ、それを持った人(記 …
私は1969年3月4~10日に大阪・中之島の研修施設で行われたF損害保険会社の新入社員研修に、大きなカメラバッグと三脚を担いで参加した。せっかく交通費と日当付きで大阪まで行くのだ。ついでにちょっと足を …
1967年1月5日未明。私は中学以来の友人E君と、上越線の夜行電車に乗っていた。小出から分岐して大白川まで(当時)の只見線に行き、C11のひく5往復の列車を撮影するためだった。雪深い上越国境を越えてし …