• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

先日札幌在住のK.平井君から3冊の写真集が届いた。第1冊からずーっといただいてこれで全12冊になる。しかし、まだこれで完結というわけではないらしい。なかなかのもので、私も何とかせねば、と思いつつこのホームページのコラムを書いているのだが、何をどこにしまったのか、いや何がどこにしまわれているのか、その整理から始めねばならない。

地元の写真は割と見つけやすい。まず総武本線「南酒々井」。ここは私の住む千葉から約30分。佐倉の次の駅だが、複線の成田線と別れて右にカーブ、大築堤を登った先は山村の雰囲気。一気に田舎になるので、よく出かけた場所だ。
総武本線には佐倉から成東~東金~大網~茂原へと貨物列車を牽くハチロク(8620型蒸機)の姿があった。新茂原あたりの工場の貨物線で入れ替え作業をするために小型のハチロクが必要だったようだ。①は38671が牽く朝8時半ころの下り貨物の発車シーン。②は別の日の同じ列車を後方から撮ったもの。機関車は58684。そして南酒々井の構内を出て少し先の踏切を超えたあたりで同じ列車を撮ったのが③。この機関車は58683。この3両のハチロクは、 佐倉機関区に最後まで残った5両のハチロクの内の3両で、あちこちでよく出会った。このホームページの「房総の蒸気機関車1965~1969 Ⅰ」「房総の蒸気機関車1965~1969 Ⅱ」にも東金線などでのシーンが登場する。
ハチロクといえば成田線回りで佐倉~銚子の貨物を牽き、銚子で魚市場や醬油工場の貨物線で入れ替え作業に当たったものもいた。④は銚子駅のはずれで貨物線の方に行ったり来たりしていた58683の姿。

千鉄で旅客列車といえばまずC57であった。⑤は八街を発車するC5759。この機関車は1938年5月5日に川崎車輌兵庫工場で製造され、当初は梅小路機関区や宮原機関区で、東海道筋の急行列車の牽引に当たったエリート。1943年2月に宇都宮へ転じ、直江津を経て、1966年10月4日に佐倉にやってきた。ヘッドライトは補助等とともにシールドビームに変えられてしまったが、正面のナンバープレートは、製造当時の形式名入りの大型プレートが最後までついていた。1969年9月末の総武本線電化後は貨物列車の予備機として新小岩機関区に移り、その半年後に廃車となった。⑥は房総東線(現・外房線)冨浦付近を千葉に向かうC5777牽引の普通列車。客車はスハ32系で揃った美しい10両編成。普段はディーゼルカー(DC)の列車が、海水浴の繁忙期、他から借り入れた客車を使い、蒸機+客車で運用された時代があった。これは1967年の夏(2024年8月15日のコラム「今はむかし、房総の夏臨」などご参照)。C5777は1938年9月、三菱重工神戸造船所で製造され、1965年7月4日から1969年3月13日(廃車)までを佐倉機関区で過ごした。時期は不明だがボイラーの破損事故による修理で、煙室前端のRがなくなっている。
最後に佐倉~物井の旧線を千葉に向かうD51が牽く貨物列車⑦。ここは小高い丘を迂回するのどかな区間だったが、複線電化の際トンネル経由の新線(2025年2月15日のコラム「デコイチと言われた蒸機」参照)ができ、距離が短縮化された。今はそれとなく線路跡とわかる場所になっている。


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