このコラム(鉄道)の第1回「北海道の鉄道、思い出のシーンから」(2018年4月10日)をご記憶の方がいたら嬉しいのだが、そこに1967年夏のシーンのひとつとして美流渡(みると)の蒸機8100(8118)が、空セキ(積荷を積んでいない石炭車)を目いっぱい牽いて美流渡から炭山に向かって帰る姿を紹介したことがある①。その8118の前任地、北海道炭礦汽船(北炭)真谷地(まやち)炭礦専用鉄道時代の写真は、2020年3月7日のコラムで詳しく紹介した。そういえば・・・と、美流渡の写真はあれ1枚だけだったなと思い出した。
美流渡というのは、北星炭礦(1960年12月に炭礦合理化で北炭から分離)美流渡礦専用鉄道のことで、1967年10月の閉山まで国鉄(当時)万字線の美流渡駅と上美流渡炭山を結んでいた全長2.8kmの路線で、1918年の馬車鉄道に端を発する。石炭輸送のほか通勤通学客のための旅客輸送も行っていた。
私がそこを訪ねたのは閉山まであと3か月という1967年7月のことだった。真谷地から移った8118(真谷地時代は5051)が最後の活躍をしていると聞き再会したかったからであった。
8118は国鉄8100型式20両のうちの1両で、1897年に当時の鉄道作業局が米国ボールドウイン社から輸入したもの。8100型式は勾配線向けの客貨両用機で、御殿場線(当時は東海道本線の一部)や軽井沢以北の信越本線で活躍。最後は北海道に集められ、炭鉱の専用鉄道などに払い下げられたものが多い。
私が上美流渡炭山を訪ねた時、最初に見たのは朝の旅客輸送を終えた客車列車②。砂箱に砂(勾配での空転防止用)を入れるなど、整備中の姿だった③。真谷地ではボイラーの正面に輝いていた北炭のプレートは外されていたが、まさにアメリカっぽいボールドウインの蒸機(公式側)④であった。
客車は2両とも木造2軸車で、外板はあちこちはがれていて廃線間近を思わせた。蒸機に近い方から、ハ1とハ2で、ハ1は1895年神戸工場製の車掌車を1957年に客車に改造したもの。ハ2は1912年天野工場製の元国鉄ハ1191で、2両とも復元保存されてもよい価値ある車だった。
事務所でお話しするうち、午後の美流渡行きの8118の運転台に添乗させてもらえることになった。山からの下りだったのであまり迫力はなかったが、ボイラーの熱の暑さや、石炭の匂いは今でもはっきりと思い出す。折り返し空セキを牽いて山へ帰るというので、炎天下を20分ほど歩き、勾配区間をしばらく上ったあたりで、夏草の匂いを嗅ぎながら煙を待った。やがて、しっかりとした足取りで、甲高い汽笛を思いっきり鳴らして私の前を山に向かって行った①⑤。廃線後に80万円で買わないかと言われたが、保存場所や輸送費など考えれば、学生の私には夢のような話だった。