• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

私は乗車券類も多く集めていたが、近年は、特定の地域のものを中心に整理し、手元に残すようまとめの作業を始めた。その中のひとつが「津」にまつわるものだ。
先日整理していて発見したのがこの一枚である①。「津から紀伊木本ゆき」で昭和34年(1959年)4月23日の日付が入っている。紀伊木本? 今の駅名は熊野市である。昭和34年7月15日に紀勢本線が全通した時に改称された駅だ。ということは、4月23日には津方面からの鉄道は開通していなかった。紀伊木本から向こうの和歌山方面は紀勢西線が通じていた。そうか。これは尾鷲(おわせ、当時は「おわし」)~紀伊木本がバス連絡だったころの切符だ。

紀伊半島南部は険しい紀伊山地が熊野灘にそのまま落ち込むような、海沿いの険しい山岳地帯だ(②現在の紀勢本線を見下ろす、山の向こうは熊野灘のリアス式海岸)。そのことは2020年7月7日のコラム「南紀のDF50」にも書いた。
その尾鷲~紀伊木本(現・熊野市)間は、国鉄バスが矢ノ川(やのこ)峠を越えて、鉄道なら普通列車で40~50分ほどの距離を2時間40分かけて結んでいた(1日4往復)。この切符の持ち主、津からの旅人は、恐らく1日がかり、やっとの思いで紀伊木本へたどり着いたのではないだろうか。
大まかに言うと、津を8時27分の鳥羽ゆきに乗り相可口(現在の多気)で乗り換え、尾鷲に11時51分着。12時20分発のバス紀南線で15時ちょうどに紀伊木本着、が考えられる。所要7時間33分。今なら午前9時1分津発の特急南紀1号に乗れば、熊野市には午前11時13分に到着する。僅か2時間12分の旅である。

鉄道開通前、急峻な紀伊半島南部のかの地は、バスもやっとの思いで走っていた。今は草木が生い茂り、もう歩くことも困難な旧国道42号線に、国鉄(当時は鉄道省営)バスが紀南線を開通させたのは1936年(昭和11年)10月15日のことだった。
当日の郵便物に使われた記念消印をご紹介しよう③。尾鷲~紀伊木本間2時間40分の中間点「矢ノ川峠」には茶屋があり、バスも小休止したという。その茶屋の昭和15年ごろの絵葉書がある④。
バス路線は紀勢本線の全通とともに廃止され、茶屋の跡には、最後まで茶屋を営んだ女性の息子さんが建てた句碑が残っているという。その碑には「冬の日の ぬくもりやさし 茶屋のあと」という句とともにその主の名も記されているそうだ。知る人ぞ知る有名な場所なので、いつかそこに通じる道が再開されるかもしれない。

一部区間だが国鉄バス紀南線の乗車券(小人用)⑤と、紀勢本線全通初日の熊野市(紀伊木本を改称)⇒尾鷲の乗車券⑥を掲載しておこう。
当時私は中学生。現地に出かけるのは不可能で、この乗車券はどなたかがコレクションしたものであろう。初日の券⑥の裏面の券番は0003である。紀南線最終日のバス券は、持っておらず、転載不可なのでお見せできないが、「天王寺鉄道管理局三十年写真史」という本に掲載されている。

普通なら手元に残るはずのない乗車券(切符)だが、うまく手元に残せると、後年それを見ながら、いろいろなことを想像できる。いつかまた面白い切符をご紹介しよう。

(注:紀勢本線の尾鷲~紀伊木本間は少しずつ延伸し、全通直前のこの時期は、三木里~新鹿間が未開通だった)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です