• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

DF50は1956年から製造されたディーゼル機関車である。ディーゼルといっても車内のディーゼルエンジンで発電した電気でモーターを動かす電気式ディーゼル機関車あるいはディーゼル電気機関車ともいわれた機関車で、エンジンのメーカーにより基本番台(スイス/ズルツアー社・8気筒)と500番台(ドイツ/マン社・12気筒)に区分されていた。私はズルツアーの方が好きだった。上り勾配にかかると「ドッドッドッドッ・・・」というあの独特のエンジン音が蒸気機関車と同じように何となく人間っぽかった。マンの方は「ドドドドド・・・」と単なる機械音だった。南紀のDF50は全機が亀山機関区の所属で最初から最後まですべてがズルツアーだった。1963年ごろから車体の塗色が茶色(ぶどう2号)から朱色4号(裾まわりはねずみ1号)に変わったが、1964年7月に初めて亀山を訪れた時は30号機が旧塗色のままだった①。

紀勢本線は東線西線に分かれていたが、1959年7月15日に三木里(みきさと)~新鹿(あたしか)間 (12.3km) が開通して全通した。その前日までは国鉄バスが尾鷲と熊野市(旧・紀伊木本)の間を1日4往復、2時間45分ほどかけて熊野街道の難所、矢ノ川峠(やのことうげ)を越えて結んでいた。峠ではバスも休憩し、茶屋があったそうだ。峠にある碑には「冬の日の ぬくもりやさし 茶屋のあと」の句とともに、かつて茶屋を営んだ女性の名が添えられているとのこと。中学生の頃その最後の日のことを鉄道ピクトリアル誌で読んだ印象が強く残っている。しかし今そこへ行くのはかなり難しいようだ。
私は1979年12月に最後の開通区間である三木里~新鹿そして波田須を訪ねた②~④。急峻な紀伊山地の斜面が熊野灘にそのまま落ち込む地形だった。③の重連貨物の先頭に立つのは量産試作車の4号機で前面形状がやや丸味を帯びている。この辺りには③に見られるような竹林が多く、特に尾鷲の土井竹林は有名で1967年4月開始のNHK朝の連続テレビ小説、鉄道員の生涯を描く「旅路」の重要なシーンに登場した。ご記憶の方も多いであろう。日色ともゑさん演じる友里と横内正さん演じる雄一郎の再会の場面だ。

⑤は後に鉄道ファンの間で有名になる大内山駅南方の大カーブで大内山に向かう客レを撮ったもの。日付は手元に残る大内山駅の入場券で1978年4月1日と確認した。この南方の荷坂峠には翌年レンタカーで出かけた。国道から見上げた橋⑥(被写体はキハ51)は天空の橋とも呼ばれていて、その橋を渡るDF50が牽く貨物列車の撮影場所⑦(14号隧道と15号隧道の間)にはかなり苦労して辿り着いた。

⑧は珍しくカラーで撮った。場所の記憶がなかったが、グーグルアースで確認したところ相賀駅南方の銚子川橋梁だと思いだした。銚子川は大台が原から熊野灘まで、上流から川下まで透明度が高く「奇跡の川」として有名で、水中の石もよく見えた。⑨の撮影場所がはっきりしないのだが、亀山行きの車内から前方を撮影したもの。先頭のDF5026(⑤も同じ)は裾のラインが白線ではなくステンレス帯になっている。1971年の和歌山国体時にお召列車を8号機とともに牽引した時の装飾の名残で、最後までこの姿だった。


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