鹿島鉄道鉾田線は、1929年に全通(石岡~鉾田)した鹿島参宮鉄道が、のちに常総筑波鉄道との合併により関東鉄道鉾田線となり、さらに関東鉄道の分社化で、1979年4月1日から「鹿島鉄道鉾田線」となった茨城県の私鉄(2007年3月31日廃止)である。
関東鉄道時代の様子は、2022年9月15日のコラムに書いたが、私はその後の鹿島鉄道時代にも一度だけ撮影に出かけたことがある。
今日はその時に出会った車輌たちのことを記そう。
全線27.2Km、17駅からなる鉾田線は、起点の石岡駅でJR(旧・国鉄)常磐線と接していた。
まず①はその石岡駅で撮影したキハ431とDD902。キハ431は元加越能鉄道120型(125)で、1957年東急車両製造、1972年の加越能鉄道廃止により鉾田線にやってきた2両のうちの1両。この時は朱色とクリームの塗分けだったが、2003年には朱色部分が緑色になったらしい。そう聞いて、留萌鉄道の懐かしいディーゼルカーたちを想像した。
隣のDD902は自衛隊百里基地への燃料輸送が終わり貨物営業がなくなってからも、最後まで健在だった。1968年日本車輌製造、国鉄DD13型式と同系で、私が撮影した時は茶色に白帯という国鉄旧色だったが、2003年頃朱色に白帯の塗装になったようだ。廃線後は日本製鋼室蘭製作所に売却された。今も健在かは未調査。
この日は431に出会うことが多く、②は玉造町付近の築堤上を走る鉾田行。③はその列車が鉾田で折り返してきたのだが、これを見ると撮影日は1990年頃の春だったようだ。
関東鉄道時代には主力だった旧・三井芦別のキハ711~713や旧・夕張のキハ714~715は、この頃には運用から外れることが多く、この日も石岡の車庫でキハ713たちが休んでいた④。
今回も桃浦へ行ってみたが、キハ600型(601)が大きな車体の割に少ない乗客を乗せて走ってきた⑤。キハ600型は元・国鉄のキハ07型式で、半円形の運転台部分が加工され平らな正面になり、車体長20メートルから19メートルになっていた。改造で車体側面にしか面影はないが、第2次大戦以前のガソリンカーが元のディーゼルカー旧・国鉄キハ42500(第2次)由来の車で、おそらくこの当時、現役最古のディーゼルカーのひとつだったと思われる。
最後に、関東鉄道時代にはいなかったKR500型(501)の走行風景⑥。16メートル級の車両で4両あり501と502は1989年、503と505は1992年に、いずれも新潟鐵工所で製造された。504は欠番。車体はクリーム地に紫(501)、赤(502)、緑(503)、水色(505)の帯が入れられていた。
キハ431、キハ714、KR501の3両は鹿島鉄道記念館(私設・非公開)に保存され、年数回、鹿島鉄道保存会が一般公開していると聞く。キハ601とKR505は鉾田駅保存会が買い取り、のちに鉾田市へ寄贈。温泉施設「ほっとパーク鉾田」に展示され、同保存会が定期的に一般公開をしているとの情報がある。私はいずれも行ったことがないが、「かしてつ応援団」など鹿島鉄道の存続運動にかかわった人たちが保存会を運営し、車両などの保存に努力しておられることに敬意を表したい。