• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

昭和50年(1975年)12月4日の桃浦駅の入場券①が出てきた。その時の写真も何枚か出てきた。
この頃この鉄道は関東鉄道(株)鉾田線と呼ばれていた。もともとは常磐線石岡駅から鹿島神宮を目指して建設されたが、鉾田までで延伸をあきらめた鹿島参宮鉄道であった。1965年6月1日付で同じ茨城県内の常総筑波鉄道と合併し関東鉄道の鉾田線となった。のち1979年に分社化され鹿島鉄道(株)となったが、地方ローカル鉄道の経営は苦しく、2007年4月1日に廃止された。

鉾田線といえば、まず霞ヶ浦である。桃浦駅一帯は霞ヶ浦の湖岸を鉾田線が走る②。やってきたのはキハ711。新潟鉄工所で1958年に誕生。北海道の三井芦別鉄道でキハ101として活躍し、炭鉱の閉山で1972年に他の同型2両とともにやってきて、キハ711~713となった。キハ714と715も似た車両だが、こちらは夕張鉄道から1976年にやってきたキハ251と254である。この日は元夕張の2両には残念ながら会えなかった。

玉造町駅は列車交換のできる中間駅である。鉾田で折り返して来たキハ711が石岡に向けて停まっていた③。鉾田に向かう線にはキハ411+412の2連が停車中。この2両は1934年に新潟鉄工所で製造された元国鉄キハ04型式で、1958年に払い下げを受け、1972年に前面窓を4枚⇒2枚窓に、片運転台化、液体式に改造し、総括制御が可能になった。見た目は古いが主力として頑張り、1986年に廃車されるまで、この2両編成のまま活躍した。

終点の鉾田駅から坂戸駅方向にしばらく歩くとちょっとした山あいの風景になる④。竹林などもあって何となく落ち着く鉄道写真が撮れる場所だった。やってきたのはキハ712。先述の元三井芦別のディーゼルカーであった。キハ711らとともに1992年に廃車されるまで頑張っていた。


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