私は、最近のメモ的な写真はともかく、本気で撮った鉄道写真の大半は白黒写真である。ミノルタ(千代田光学)のSR3だけが35ミリで、あとは、ミノルタフレックス、ローライフレックス3.5Eと2.8F、ハッセルブラッド・・・とブローニー版。デジカメはコンパクトタイプしか使っていない。フィルムの主体はコダック・トライXであった。ASA400だから、曇っていても500分の1でシャッターを切ることができた。そして蒸気機関車の時代にはカラーで撮ることなど考えたこともなかった。
そんな私だが、カラフルな電車はカラーで撮ってもよいのではないかと思う時があって、ある日上越線の雪景色を撮りに、カラーフィルムを装填して出かけたことがある。当時の愛機はローライフレックス2.8F。1970年の大阪万博の展示品といわれ、西ドイツ(当時)の駐日大使館から入手したものだった。
1978年の1月29日早朝。まず向かったのは上越国境・清水トンネルの向こう側「岩原(いわっぱら)スキー場前駅(①臨時駅で入場券は無かった)」。ところが朝早くからスキー場のスピーカーから流れる音楽やがなり声がうるさく退散。隣の越後中里(②入場券は学生時代に訪問した時のもの)に戻り、周辺の鉄橋などで撮影した。スキーシーズンで臨時の急行佐渡や、スキー臨は165系電車ではなく、EF58が牽く12系の客レだった。普通列車は旧型国電(70系など)が新潟色といわれたエンジと黄色の装いで走っていた。それに連結される郵便荷物電車(クモユニ141)などは湘南色のままで、カラーで撮るのにはうってつけだった。
まず、新潟色の旧型国電③(後部左からクハ76・モハ70×2・クハ68)がやってきた。先頭(右)には上述したクモユニ141が立っていた。夏の暑い時期には、新潟色の電車は暑苦しい感じだったが、雪の中でこうしてみると、なかなか良い感じに思えた。
続いてやってきたのは臨時の急行佐渡④。当時の急行用・12系客車12両編成の牽引機EF58(終点上野まで)の前に補機EF16(水上まで)がついて、清水トンネルに向けて駆けて行った。
⑤は同じくEF58牽引だが補機はついていない。客車が12系6連で下りスキー臨の回送(上り)である。このくらいの編成なら補機はいらなかった。少しアングルを変えて墨絵風に仕上げてみたかったが、カラー写真も難しいものだ。
この辺りは、新清水トンネルの完成で複線になっていた。新設された下り線は③~⑤の上り線よりもかなり西側にあり、そこでは下り特急「とき」を撮影した⑥。新線だから鉄橋もコンクリート橋になっていた。ボンネットタイプの181系電車。これは列車の後部側の写真である。この頃の「とき」は13往復が設定され、食堂車(1978年7月に廃止)もあって上越新幹線開業前の最盛期だった。
この日の帰途、水上で途中下車し駅近の鉄橋で夕方の下り「とき」を撮影した⑦。流し撮りになったが、思えば私が撮った最後のボンネットタイプの特急電車である。水上からは80系の普通電車でのんびりと帰宅した。