• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

御殿場線といえば函嶺(かんれい)越えの難所を抱えていたが、丹那トンネルの開通以前は東海道本線の一部であり、特急つばめなどはその走行時間短縮のため、補機(補助機関車)の連結を国府津(下り)や沼津(上り)では30秒停車で行っていた。そればかりか補機の解放は御殿場付近を走行中に行っていた歴史もある。

丹那トンネル開通後は一ローカル線となってしまったが、1968年に電化されるまでは大型蒸気機関車であるD52型式蒸機がひく旅客列車もあって、人気の撮影地だった。私も夜明け前から線路端でカメラを構え、富士山頂に陽が当たりピンクに染まりだすころ、山頂に近い方から一つまたひとつと山小屋の灯が消えていく様を見つめた記憶もある

私は高校2年生の頃、国鉄本社に手紙を出し、御殿場線の電化計画を尋ねたことがある。広報部からの返事によればそれは昭和45年(1970年)頃とのことだったが、実際にはそれより早く、1968年4月27日に国府津~御殿場が、同年7月1日には御殿場~沼津が電化され、D52蒸機は全廃となった。今回のコラムは、その電化直後の頃に撮影に行った時の様子である。

御殿場線電化で投入された電車はなんとロクサン。昨年7月15日のコラムに書いた鶴見線と同じあの旧型国電だった。鶴見線は3両編成だったが御殿場線はクモハ73+サハ78+モハ72+クハ79の4連でサハ78にはトイレが新設されていた。塗色はスカ色、横須賀線と同じクリームと青に塗り分けられてすっきりしてはいた。付言すれば、東京との直通急行「ごてんば」は急行用の165系電車が使われ、新宿に直通する小田急は、それまでの気動車5000系に代えて、あの有名なロマンスカーSE車を5両編成に短縮して乗り入れた。

写真①の先頭は鶴見線でも見られたモハ72改造(運転台新設)のクモハ73の600番台。客室窓も2段サッシに改造されていた。②の先頭は2両しかない珍車。クハ79の運転席窓に傾斜がつけられ運転席に走行中の風を取り込めるようになった最初の試作車で、番号がはっきりしないがクハ79350か352である。かつて、私の地元千葉にもたくさんいたロクサンの写真を撮っていた私としてはこのクハ79に出合えたのがこの日の収穫だった気がする。③は酒匂川を渡るクモハ73600番台他。ここは蒸機時代有名な撮影名所だった。④は第5相沢川橋梁を渡る静かな山中の風景。2両目のサハ78の左から2つ目の窓が塞がれていて、トイレが設置されたのがわかる。⑤は小田急が新宿から新松田=松田の連絡線経由で御殿場に走らせたSE車「あさぎり」。新宿~箱根のスターの座を新ロマンスカー「NSE」に譲り、御殿場線のスターとなった。


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