• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

シゴハチ(C58)といえば、現在は秩父鉄道でC58363がパレオエクスプレスをけん引して人気を博している。釜石線で運行されていた「SL銀河」(C58239)は惜しまれつつ昨年引退した。秩父なら私の住む千葉からは日帰りで撮りに行くこともできるのだが、ついぞ出かけていないのは、シゴハチがあまりにも特色のない機関車で、かつて身近に多くいたからかもしれない。

シゴハチには特色がないと書いたが、旧国鉄C58形式蒸気機関車(蒸機)は、テンダー式(炭水車付き)蒸機では唯一の車軸配置1C1(プレーリー)、中型客貨両用蒸機であった。1938年から1947年にかけて431両が作られ、全国各地のローカル線~亜幹線で活躍した。私の地元千葉には、私が高校3年生の時点(1964年4月)で、佐倉機関区に23両、新小岩機関区に9両のシゴハチが配置されていた。主に総武本線・成田線の列車に充当され、房総東西線(現・外房線、内房線)の客レはC57,貨物にC58という運用だった。
①は1965年初頭、旧千葉駅跡にたたずむC58293で、どういうわけかこの機関車にはよく出合った。
②は冨浦付近で撮影した下り貨物列車だが、先頭はC58293である。この写真は夏の暑い日、のちにプロ鉄道カメラマンとなり今も名を馳せておられるM氏と同行した時のものだが、何とも言えない思い出が蘇ってくる。シゴハチのことではない。列車が来る5分ほど前、撮影ポイントを探して田んぼのあぜ道を歩いていた時、何か柔らかい棒状のものを踏んだ気がした。M氏が「ヘビ!」と叫んだのが聞こえた。下を見れば、1m以上はあるシマヘビが私の足元から鎌首を垂直にして私を睨みつけていた。気の毒にものんびり休んでいたのであろうそのヘビは、私にかみつくことなく、シュルシュルッとあぜ道を去っていった。ただその時の、運動靴の足裏の何とも言えない触感は今でも思い出す。
C58293は1941年9月に川崎車輛兵庫工場で製造され千葉機関区に配属。一時八王子機関区に転じたが1958年11月29日に佐倉機関区、つまり千葉に戻り1969年2月21日に高崎第1機関区に転出した。私の中学~大学の時期に千葉にいたなじみの機関車で、転車台があった千葉気動車区で出合った時はキャブ(運転台)に乗せていただき構内を移動したこともある。高崎に転じて間もなく廃車になった。

③は静岡県の二俣線。1971年の正月休みに奥浜名湖の見える気賀付近に撮りに行った時の写真。本当は1日1往復のこの列車は貨車を連ねてやってくるハズだった。またしても旅程の選択を誤ってしまったのだ。この日は運ぶ貨物がなく、機関車だけがやってきた。それでも煙を目いっぱい出して、絵になる景色を残してくれた。このC58364は1944年2月に川崎車輌兵庫で誕生。釜石から宮古、盛岡そして1949年10月に美濃太田機関区に転じ、高山本線や太多線で活躍。1965年10月25日には岐阜国体のお召列車を美濃関~郡上八幡~岐阜とけん引した。その後、大多線や高山本線の蒸機最終貨物列車を牽き、1969年10月~1971年3月二俣線で働き、私と出合った。その翌年3月に小牛田で終焉を迎えた。

もう1枚、和歌山県の日高川(道成寺~和佐)を渡るC58の客レ④を掲載しておこう。和歌山方面への撮影行の最後、逆光の夕陽を受けて、集煙装置と重油タンクを装備したシゴハチがなんとなく立派に見えた。


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