• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

近鉄の写真を整理していたら、懐かしいビスタカー10100系の9両運転時の写真①が出てきた。
ビスタカーと言えば2階建て近鉄特急の代名詞で商標登録もされている。1958年製の試作ともいえる10000系ビスタカーは7両1編成だけだったが、近鉄が命運をかけた「名古屋線広軌化」(近鉄では軌間1435mmを標準軌と言わず広軌と呼ぶ)による1960年2月予定(実際は1959年9月の伊勢湾台風による被害復旧に合わせた突貫作業で1959年12月12日に実現した)の名阪直通特急の運転開始に合わせて製造したビスタカーⅡ世、10100系は、A編成(大阪方が流線形)、B編成(名古屋方が流線形)、C編成(両端とも貫通型)がそれぞれ3両1ユニットの連接車で各5編成、合計45両が当初製造された。A+C+Bの三重連の9両編成はめったに見られなかったというが、その終焉に近い1978年春から1年半ほどの間、停車駅の多い名伊乙特急や阪伊乙特急で重点的に使われた。ノンストップの名阪甲特急でなかったのは残念だったが、そのおかげで私は撮影だけでなく乗ることもできた。

私がそのビスタカーに乗ったのは1978年3月31日の夕刻、桑名から津まで(②の特急券参照)であった。2号車は2階のあるサ10200型で1~36番席は2階席である。①の写真は桑名の近く、揖斐川橋梁である。名古屋に向かう宇治山田からの名伊乙特急を後方から撮ったものだ。光線の都合でこうなったのだが時刻は16時ころであった。この列車が名古屋で折り返してくるのを桑名で待ち構えて津まで乗った。10200の2階席は天井も低く、きゅうくつ感は否めなかった。満席で車内の写真を撮れる状況ではなかったが、窓側を抑えていたので、満足なひと時であった。この時の特急券②は既にコンピューター発券になっていたが、1960年代までは硬券で名古屋線下りはオレンジ線2本が入っていた。③は1968年4月2日に名古屋から津まで乗った名伊乙特急の券。ビスタⅡだったが残念ながら2号車は満席で乗れなかった。

近鉄の記念乗車券類には10100系ビスタがしばしば登場している。その代表を何枚かご紹介しよう。④は上から順に⑴名阪直通特急運転記念(見本券)、⑵同10周年記念(初日初発の1号車)、⑶特急運転開始20周年(近鉄は戦後間もない1947年12月から特急運転を再開していた)記念(発売初日の初発1号車1番席)と、10100系をメインにした著名な記念券3種。⑤はさよなら運転(三重連)で、上は名古屋線の特急券。名古屋線では1979年7月22日から8月5日まで、毎日名古屋~鳥羽間に1往復運転された。この特急券は8月31日まで駅で指定を受けて使用できた。下は大阪線の記念しおり。大阪線では1979年9月23日から10月29日までの土日祝日に上本町~鳥羽間に各2往復運転された。このしおりは車内で乗客に配られたもの。

最後に使用時期が不明だが名阪甲特急のノンストップ時代の運転士用スタフ(運転時刻表)⑥を掲載しておこう。名古屋~中川短絡線の区間のものだが、甲特急が津駅にも停車するようになってはや12年。このスタフは津駅も通過になっているので、ビスタカーで使われたものかもしれない。 


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