• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

以前このコラムにも登場したことのあるKFこと深野邦彦さんから先日、電話があった。

久しぶりに小湊鉄道に行ってきた、とのこと。コロナもあって3年ぶりだったとか。彼は私が学生時代からの鉄道づきあいの先輩だが、蒸気機関車の時代が終わってからも、気動車や電車にうまく転身し、小湊鉄道には千葉在住の私よりはるかに多く訪問している東京都民だ。会津にもよくお出かけらしい。私はお話を聞く度に「ふうん」と思うばかりなのだ。
今回もお話を聞きながら「そういえばずいぶん長いこと気動車に乗っていないな」と思った。そう思いながら昔の写真を取り出してみると、筑波鉄道の写真が出てきた。これも、深野さんに同行してもらった時のもののようだ。

筑波鉄道は、かつて常磐線の土浦駅と水戸線の岩瀬駅の間40.1kmを結んでいた非電化の鉄道で18駅あった。1914年に筑波鉄道(初代)設立。1918年4月17日に土浦~筑波間が開業した。実は車両不足で筑波~岩瀬間の認可が遅れ、全線開業は同年9月7日になったという歴史がある。1945年3月20日に常総鉄道と合併し常総筑波鉄道となり、1965年6月1日、さらに鹿島参宮鉄道と合併して関東鉄道となった。この頃がこの鉄道の最盛期で1979年4月1日に関東鉄道の分社化で筑波鉄道(2代目)筑波線となり、その後乗客数の減少など経営状態が悪化、1987年4月1日に全線廃止となった。

私が訪ねたのはその2年ほど前で、列車は一部を除き単行運転になっていた。
その頃の筑波線の気動車は旧国鉄のキハ10が1両(821)、自社発注のキハ500が5両(501~5)、元雄別鉄道のキハ49200Yが3両(761~3)、同じく雄別のキハ810が1両(811)、元江若(こうじゃく)鉄道のキハ510が1両(511)、計11両の布陣だった。(カッコ内は筑波鉄道での当時の車番)

①は常陸小田(ひたちおだ)駅で発車を待つ762。元雄別のこの形式キハ49200Yは国鉄キハ20の寒冷地仕様キハ21からWCをなくしたタイプ。駅周辺の大木が印象的だった。

②は田植え前。水田に張られた水面に影を映す505。1959年に日本車両東京支店で制作された自社発注車の1両でこの505と504は当時としては珍しく台車が空気バネになっていた。

③は筑波山西麓を行く761。実はこの20年前の1965年7月。最初の北海道旅行で釧路~雄別炭山の雄別鉄道で初めて乗ったときの車両で当時のナンバーはキハ49201Y。懐かしさが込み上げてきた。

④筑波駅を出て町はずれを土浦に向かう821。形式は820で旧国鉄のキハ1047。車体幅の狭い(高さも低い)キハ17系一族の中で、WCのない両運転台キハ10は最後に民鉄に渡ったものも多い。

⑤この日出合った2両編成のうちのひとつ811と762。元雄別の2型式が仲良くやってきた。811は元キハ104。もう1両は元キハ49202Yの762。①では単行になっているが朝のうちは811とペアを組んでいた。

元江若の511は湘南タイプの顔と聞いていたが、この日は運用に入っておらず会えなかった。
この写真、ついこの間のような気がするが廃止後36年がたったのかと思うと、何となく懐かしく感じるものだ。


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