• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

今年1月7日のBSフジ「鉄道伝説」第106回は、日立製作所笠戸事業所(日立笠戸)を取り上げていた、日立笠戸といえば国産初の大型(当時としては)電気機関車ED15に始まり、新幹線0系から英国鐡道800系まで、新機軸車両の製造と売り込みに成功した、ゆるぎない実力と100年余になる歴史を持つ鉄道車両メーカーである。

その日立製作所が日立電鉄という子会社を持っていたことをご記憶の方も多いであろう。茨城県常陸太田市の常北太田駅と日立市の鮎川駅を結び、途中の大甕駅で常磐線に接続する、全長18.1km14駅の電鉄線だった。1928年12月27日の大甕~久慈間開業(常北電気鉄道)に始まり、翌1929年7月には久慈~常北太田間が開業。1944年7月31日、日立製作所傘下の日立電鉄線となった。さらに1947年9月1日に大甕~鮎川間を開業。1971年10月には一部でワンマン運転、1996年11月に全列車ワンマン運転とするなど経営努力を進めたが、2005年3月31日を以って全線廃止となってしまった。

私はこの電鉄線の撮影に友人のFさんとマイカーで夜遅く出かけたことがある。国鉄水戸線の常陸太田駅前広場に駐車して仮眠。早朝、水戸線に1本だけあったDE10牽引の客車列車を撮った後、日立電鉄線に。こちらも通勤時間帯に1本だけあった4両編成の電車を撮りに行った。場所は常北太田~小沢にある里川橋梁①で、中には2ドア車も入っていて、この頃は種々雑多な車両が楽しめた。その後、日立岡田~川中子で撮ったのはモハ11のワンマンカー②。この時期、大半の列車が1両のみのワンマン運転になっていた。モハ11は同型のモハ12とともに1948年7月に親会社の日立製作所で作られた。本来は営団地下鉄(現・東京メトロ)が日立に発注した車両で、出来栄えが悪く営団がキャンセルした車両をリメイクした、という説があるが、当時大甕~鮎川の開業で車両が必要になった子会社・日立電鉄線のために、親会社の日立製作所が無理矢理新車を回したというのが、真相のようだ。第2次大戦後の混乱期、鉄道車両はいくらでも必要だった頃の話である。

手元に「創立50周年記念乗車券」(1977年4月1日発行、8枚組1,000円)③がある。どういうわけか8枚のうち4枚は日立電鉄バスにしか使えない乗車券で、電鉄線用の券も2枚だけが鉄道車両図案である。その2枚をここに掲載しておこう。
常北太田駅発行とある230円の券に描かれているのはデハ7型で1942年日立製作所製造、2軸ボギー・ポール集電の車両で当時この形態は路面電車に多く、地方鉄道としては珍しかったと言われている。1970年2月まで使われた。
80円の券はモハ101型で何を隠そう元・鉄道院ナデ6141である。1914年3月鉄道院新橋工場で制作され、1950年に日立電鉄に払い下げ、当時現存する国産電動車の中では最古で木造電車の生きた化石であった。1972年10月14日鉄道100年の日に鐡道記念物に指定され、国鉄大井工場で保存。私はその頃大井工場で見学したことがある。その後、製造時の姿に復元され、現在は大宮の鉄道博物館に保存展示されている。


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