• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

今月の4枚はカラーだしJR化後の写真だから私としては「新しい写真」だ。
水郡線の上小川あたり。鉄橋を渡るディーゼルカー(DC)の脇に大きなこいのぼりが泳いでいた①。DCはキハ47+キハ48だった。かつて同じ鉄橋に8620型式の蒸気機関車による蒸機さよなら列車を撮りに行った時は、DCはこんな新しい車両ではなく、キハ17系が主流で、キハユニ15などの郵便や荷物を運ぶ車両も付いていた。それが今や別の鉄橋②でも、キハ48+キハ47+キハ40×2で水郡線カラー。国鉄からJRになって、あちこちで○○線カラーがはやっていた。私としては「何じゃこれは?」といった感じだったが、ここでは鯉のぼりとのコラボで、案外に良い感じだった。麦畑にもキハ40×2+キハ28の3連③がよく似合っていた。

もうみんな水郡線カラーになったのか、と思っていたら、築堤をやってきたのはキハ28+キハ58+キハ40の3連で④、こちらはまだ旧国鉄色だった。
キハ28と58はいわゆる「急行色」で、1961年6月に初登場したときは、創刊間もない「鉄道ファン」誌で「誰がつけたかニックネームはローンレンジャー」と紹介されるなど、当時としては斬新な印象だった。その後準急色(黄色に赤帯)といわれたキハ55系も同様の塗装に変更されたが、やはりこの塗色はキハ58系のほうがよく似合っていた。今は房総半島のいすみ鉄道がこの塗色のキハ28を1両保有していて、それを撮りに行く若い鉄道ファンもいるようだ。

先に「こんな新しい」と書いたキハ40系は全国各地で少なくなり、水郡線も今はキハ130系のステンレス製DCが走っているのだそうで、考えてみたらキハ58系はすでになく、キハ40系DCもあちこちでさよなら運転をしているようだ。会津線にいた40系2両や男鹿線にいた3両を購入した小湊鉄道は老朽化した在来車の200型DCを置き換え始めた。こんな話が全国各地であると聞く。

40系DCを新しい車両と思っていた私も先日76歳になった。碓氷峠のアプト式やD50、C51を追いかけたのはもう60年も前のことだ。私が鉄道趣味に入ったあの頃の60年前といえば20世紀初頭1905年頃だから、明治から大正初期の時代。最急行(のち特急つばめ)が走り始めた頃だ。あまり古い話ばかりしているのもどうかと、今月は水郡線色のキハ40系を選んでみたが、それももう昔のことになったようだ。国鉄からJRになってこの4月1日で35周年になった。何か記念行事ってありましたっけ?


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