• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

春になった。気温は20℃。明日からはまた15℃? いずれにせよもう春なのだ。
気動車王国千葉と言われた1960年代。房総半島は、花の季節。特に南房総、内房線(当時は房総西線、以下同じ)の江見~太海間は線路沿いに花畑が続き、臨時列車もあって、鉄道写真家(今で言う撮り鉄?)にはたまらない季節だった。
かくいう私も何回か花の季節にカメラを担いで出かけた。写真①~③はいずれも1968年の春の撮影で江見~太海の花畑に所有者の許可を得て入りこんで撮ったもの。①は急行「うちうみ」で多客期のため10両編成と豪華であった。
房総の急行(1965年までは準急)は「房総(内房・外房)」⇒「内房(ないぼう)」・「外房(がいぼう)」⇒「うちうみ」・「そとうみ」⇒「うち房」・「そと房」⇒「なぎさ」・「みさき」と愛称を変えたが、「うちうみ」・「そとうみ」の時代は1967年10月~1968年7月と短命だった。だから記録も記憶も何もなくても、この写真①は1968年の春だとわかるのだ。
②はワッペン列車「フラワー」号で先頭車だけがキハ28。あとは全部キハ26。そして写真に写ってない10両目(最後部)がキハ28。「フラワー」号は臨時列車なので千葉気動車区の予備車を使うのだがキハ26はたくさんあってもキハ28は少なかった。そこで前後の先頭車だけがキハ28になったのだが、これには深いわけがあった。ここではタブレットの自動授受のためとだけ記しておこう。鉄道ファンの方なら半数以上の方がお分かりになるだろう。③は①とほぼ同じ場所で撮ったローカル列車である。キハ17とキハ30。幅狭の窮屈なクロスシート車とロングシートの通勤用車両。こんな組み合わせがよくあった。

ゴールデンウイークが終わると房総の春も終わって静かな季節になる。そんな時、総武本線の八街~日向のあたりによく出かけた。④は日向の近くで撮影した急行「犬吠」。農耕馬がまだ活躍していた頃で、午後3時頃、休憩中の馬の脇をキハ28が静かに駆け抜けていった。
夏が近づくと養老川(内房線)の水も温み、川遊びの子どもたちの上をキハ28の急行⑤が通過した。「うちうみ」とあるから1968年6月の撮影と思われる。

そして夏。今度は外房線(当時は房総東線)土気~大網での光景である。⑥は急行「そと房」だが、夏の房総は列車の混雑がひどく、気動車王国といえども予備車をかき集め、さらに他から借り入れて運行した。普段はキハ28の4~5両編成という整った列車だったが、ご覧のように前からキハ28+キハ45+キハ26・・・・と普通列車用のキハ45も動員されている。
⑦は同じ日の普通列車で、先頭からキユニ19+キハ45+キハ35900番台ステンレス車+キハ36・・・・・と、今思えば懐かしい千葉のディーゼル列車である。あの頃は新聞輸送や郵便物の取り扱いもやっていて、キユニ19はそのための車両だった。とにかく夏季輸送などの繁忙期には、急行も普通列車も同じ系列の車両でそろった美しい編成というのをほとんど見たことがなかった。それが千葉の鉄道だったのである。今は電化され、規格化されて、面白みに欠け・・・・・。


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