• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

ミャンマーでは軍事政権下、ロータリーはどうなっているのだろうかとヤンゴンロータリークラブ(RC)のホームページを見てみました。今年2月1日未明の政変の影響か、1月23日を最後に更新されておらず、それはセントラル・ヤンゴンRCも同様で、心配せずにはいられません。

ミャンマーすなわち旧ビルマのロータリーは1929年から1974年までの間、ヤンゴン(旧・ラングーン)RCを中心に活動していました。ラングーンRCは以前のコラム『ロータリー拡大の立役者D.W.DAVIDSON』に記した彼の尽力で創立したクラブの一つです。その後ビルマでは1939年までにマンダレーRCなど計4クラブが活動し、インドやマラヤなどと国際ロータリー(RI)の第88区を構成していました。
その第88区の第1回地区大会がラングーンで開催されたのは1940年1月24~26日のことです。地区ガバナーはインド・カルカッタRCのC Warren-Boulton氏でしたが、開催地はビルマのラングーンでした。その広報を兼ねた封筒①②が私の手元にあります。米国ニューヨークのピッツフィールド在住のジョリン・エリス夫妻宛の手紙の中身は、消印の日付が1940年2月14日ですから、もしかしたら地区大会参加の礼状だったのかもしれません。ラングーンの検閲印が押され、インド切手にビルマ(BURMA)と加刷された切手が貼られたこの封筒は郵趣的にも貴重なものですが、裏面②を見て私は大変驚きました。第1回地区大会とROTARY CLUB RANGOONの文字が入り、当時のビルマの様子が描かれています。
中央の写真は地区大会会場のラングーン・センターです。これだけでどのような大会だったのか、その情熱も伝わってくる気がします。ちなみに同年の国際大会はキューバのハバナで6月に開催され、そこでは第2次世界大戦の最中(さなか)、後の『国連世界人権宣言』のモデルとなった『人権の尊重』決議が採択されています。その5か月前の地区大会です。タイムスリップできるものなら覗いてみたい気がします。

もう1枚、第2次大戦後の落ち着いた時期のラングーンRCの封筒③を掲載しておきましょう。1955年9月20日の消印でRIのジョージ・ミーンズ事務総長(当時)に宛てたものです。

ビルマでは軍事政権により1986年6月18日に国名がミャンマーと改められました。それに先立つ1974年(ヤンゴンRCのHPでは1977年)にビルマのRCは解散しています。社会主義政権下で禁止されたものと思われます。その後2013年にヤンゴンRCが復活。2014年5月16日の認証で正式にRIに復帰しました。その後、セントラル・ヤンゴンRCが2017年5月20日に認証され、現在ミャンマー国内のRCはこの二つです。ローターアクトクラブの活動も盛んなようでしたが、冒頭に記したように今年の政変後の様子は不明です。

(本文の第88区第1回地区大会の部分は1939年と1940年の国際大会議事録を参考にしました)


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