• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

私が学生の頃、その5年ぐらい前までは全国各地で普通に見られたというB6が急速に廃車になり、炭鉱の専用線などに行かないと会えなくなっていた。
B6という名の蒸気機関車は明治時代の代表的蒸気機関車のひとつで、英国製(2120型式)、ドイツ製(2400型式)、米国製(2500型式)があった。わずかだが官営鉄道(後の国鉄)神戸工場製もあった。
私の大学時代、本州で現役だったのは石原産業の『2412』だけでいつか会いたいと思っていたが、1968年になるといよいよ「廃車」がささやかれるようになった。そこで同年4月1日に石原産業専用線を訪ねたのだった。
石原産業株式会社(化学メーカー)については特に記す必要もないだろう。私が訪ねたのは石原産業の四日市工場内の専用鉄道線である。国鉄(現JR)四日市駅から塩浜(貨物)駅まで国鉄貨物線(現JR貨物)があり、塩浜から先は石原産業や三菱油化(現・三菱化学)、昭和四日市石油の3社の専用線(一部共用)になっていて、昭和四日市石油の専用線は現在も使われている。石原産業の専用線は路線延長3.7Kmと結構長かったが、2008年8月末に廃止された。最後はスイッチャーといわれる小型のディーゼル機関車が使われていたとのことである。現在はトラック輸送になっているのであろう。

目の前はどこもかしこも工場地帯という感じの近鉄塩浜駅からバスで10分ぐらいのところに広大な敷地の工場があった。鉄道の事務所を訪ね撮影許可をいただいて、あとは自由に構内を撮影した。機関車は『2412』と『S108』の2両がいてほぼ1か月交代で使われていた。その日は『S108』が働いていて、『2412』の動く姿を見ることはできなかった。しかし幸いなことに光線状態の良い場所に停めてあったので撮影はまずまずだった①。メインロッドが下に降りた状態ならもっと良かったのだが「50センチ動かして」とは言えなかった。
『2412』は1904年ドイツ・ハノマーク社製の生き残りだった。ピカピカに磨かれていたのは終焉間近だったからかもしれない。あとで知ったのはその数か月後に廃車になったということだ。廃車後すぐに名古屋市立科学館に譲渡され、良い状態で保存展示されてきた。最近では復元走行の話もあるようだ。 

『S108』②は1942年に日本車輌名古屋工場で製造され、石原産業の海南島(中国)工場で使われる予定が納入できず、同社四日市工場で使われることになったという。いわゆる産業用機関車の中では大きい方で、当日は構内を元気に走り回っていた③。塩浜への専用線を走る姿も撮影した。
その後すぐに休車となり、しばらく後に廃車された。現在は神戸市の小寄公園で保存されているとのこと。


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