• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

たまには電車の話をしようと思って近鉄伊賀線の写真を取り出してみた。
ちょっと古い話なので今はどうなっているのかと調べてみたら「近鉄伊賀線」がどこにもない。代わりに「伊賀鉄道」というのが見つかった。
「伊賀鉄道」はJR関西本線の伊賀上野と近鉄大阪線の伊賀神戸(いがかんべ)を結ぶ路線で、1916年に伊賀軌道として伊賀上野と上野市の間で開業、その後(旧)伊賀鉄道⇒伊賀電気鉄道⇒大阪電気軌道伊賀線⇒参宮急行電鉄伊賀線⇒関西急行鉄道伊賀線⇒近畿日本鉄道(近鉄)伊賀線と名前を変えていたが、近鉄の合理化の一環で2007年10月1日からは近鉄の子会社「伊賀鉄道」となった。「伊賀鉄道」は運営会社で2017年4月には車両や軌道などが伊賀市の所有となり、公有民営の鉄道となっている。

私が撮影に出かけたのは、1989年5月14日で既に(旧)伊賀鉄道の車両はなく、近鉄名古屋線から移ってきた5000系車両が主力だった。5000系は旧名古屋線の6311型式で、近鉄名古屋線の狭軌時代に一世を風靡した車両だ。名古屋線で私が1968年4月に乗ったときは名古屋~松坂の準急5連で綺麗な編成だった。それがここ伊賀線では2両編成が基本になり、うち1両は電装が解除され、パンタグラフなどは撤去されていた。現在の車両は200系で、東急の1000系を譲り受けたもの。2両×5編成全車にラッピング塗装が施され「忍者列車」となっている。「伊賀鉄道」のホームページで写真を見たら前面は忍者の顔になっていた。スカイブルーのほかピンク色のもある。伊賀=忍者とはいえ、イヤだねー。

写真①は現在「鍵屋の辻史跡公園」になっているらしい丘から撮ったもの。あとでよく見たら後方に上野城の天守(模擬天守=1935年に衆議院議員川崎克氏が私財を投じて建設、史的考証はされていない)が写っていた。電車ばかりに夢中になっているとあとで気がつくこともたまにある。①の電車の屋根上を見ると、1両のパンタグラフが撤去された跡がおわかりになるだろう。②は新居(にい)駅と鍵屋辻駅の間の服部川橋梁を渡る5000系2連。名古屋線の各停に2連で使われていた頃を思い出して懐かしかった。③④も5000系だが撮影地点が定かでない。グーグルアースで確認したが、線路の周囲の状況が変化していてよくわからなかった。瓦屋根の建物ばかりが並ぶこんな風景は最近あまり見かけなくなった。⑤は高性能化の名目で1984年から導入された元奈良線特急車の860型式である。桑町駅北方の小さな鉄橋で撮影したもの。

最後に伊賀線関係の乗車券など⑥を紹介しよう。いずれも上述の撮影時のものではないのが残念。一番上は車内で車掌から買う乗車券。次は上野市駅の入場券。この時代近鉄の入場券には大阪線や吉野線、京都線などは橙色、名古屋線とその支線および奈良線には紅色の線が入っていた。20円への値上げ時に線がなくなったのは当時の国鉄の赤線がなくなったのと同じ。3番目は上野市から伊賀神戸経由の宇治山田行き。伊勢在住の鉄道ファンの友人が上野市駅の入場券を入手してくれた後の帰途の切符だ。だから日付が同じ。最後は上野市から国鉄関西本線⇒名古屋経由で東京まで。現在の運賃は7,960円だが、昭和48(1973)年には東京まで2,010円だったことがわかる。


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