• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

今回も50年ほど前の話になる。世間では大阪万博の話で盛り上がっていた頃、東京周辺の鉄道ファンの間では、多分その2年後にディーゼル機関車DD16に置き換えられるであろう「高原のポニー」こと小海線のC56がよく話題に上っていた。
ポニーというだけあってC56は炭水車のついたテンダー機関車の中では小柄で、実は私はあまり興味も関心も持っていなかった。それでも飯山線や大糸線(北部)、釧路の雄別鉄道はおろかタイ・バンスーでもしっかり撮影したことがあった。しかしそれらより比較的近い小海線は、C56がキャベツ輸送に活躍する様子などが報じられる度にも無視し続けていた。そろそろ独身もあと1年ほどかという1970年5月23日、思い切って23時45分新宿発の中央本線長野行き鈍行に友人と3名で乗りこんだ。その1週間前には身延線の旧型国電と大正時代の生き残りED17という古い輸入電気機関車を撮りに夜行日帰りで出かけていて、若かったとはいえまあ元気だったことよ。
早朝小淵沢に着き20分ほど歩いて、あとから来る新宿0時30分発野辺山行き臨時急行「八ケ岳高原号」を甲斐小泉寄りの大カーブの築堤の内側で待ち構えた。やがて小淵沢を発車するポニーの汽笛が聞こえ、しばらくして客車3両の高原列車が新緑の間から①姿を現した。ゆっくりと南アルプスの山々を背景に列車は進み②、築堤を登って③木々の間に消えていった。
次の列車で小海に向かい松原湖寄りに歩いてC56150が牽く短い上り貨物列車④を撮影。さらに機関区のある中込に行きC56144などを見学。急行「のべやま」で野辺山に戻り、清里方向へ歩いて牧場らしきところで上りの八ケ岳高原号を待った。14時45分ごろ高原の風とともに現れた列車⑤は眼前の牛たちを右に見て⑥清里に向かっていった。後ろ姿の写真⑦は光線の具合からか、何となく凍てつく朝の雰囲気だった。最初で最後となった小海線のC56訪問は、有名撮影地ではない地点を選んだのでまあこんなものかと思い出す次第。
小海線は中央本線の小淵沢と信越本線(現在は、しなの鉄道)の小諸の間を結ぶ比較的長いローカル線で今はキハ110系の気動車が軽快に走っている。中央自動車道の開通後は清里に鉄道で出かける人も少なくなったそうだ。高原キャベツの収穫時期にはC56の牽く貨物列車がキャベツ畑の集積場ごとに停車して、駅ではないところでキャベツを貨車に積み込んだ話など、若い世代には想像もできまい。私はテレビのニュースで見た記憶がある。そういえばあの野菜を積んだ通風車(ツム1000型式など)なんて、どこにも保存されていないだろう。黒い貨車の時代にはいろいろな貨車があったがその話はいずれまた。
あの日八ケ岳高原号を牽いたC56149号機は、廃車後清里町営「たかね荘」前に長年放置状態だったが、その後有志により整備され、現在清里駅前に静態保存展示されている、らしい。貨物を牽いたC56150の方は1973年に山陰の浜田機関区に転属し三江北線で働いたのち長野県白馬村「白馬アルプスオートキャンプ場入口」に静態保存展示されたとの記録がある。


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