• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

去る10月12日、台風19号が猛威を振るって過ぎ去った。そのひと月ほど前の台風15号は私の住む千葉県を主なターゲットに猛烈な風による被害をもたらしたが、19号は広範囲に洪水による被害を与えた。各地で堤防が決壊し水没した住宅地や農地の何と悲惨なことか。関東直撃といわれていた19号が信州長野にも甚大な被害をもたらした。千曲川が決壊し新幹線車両10編成が水につかり、120両すべてを廃車せざるを得ない状況だそうだ。

その長野のローカル私鉄に、かなり前だが何回か撮影に出かけたことがある。
上田交通(旧・上田丸子電鉄)別所線の千曲川橋梁(上田~城下)を渡る①のは戸袋窓が丸窓で有名な5250型(5252)である。実はこの鉄橋のこの部分が今回の台風で落ちてしまった。当然運休(10月15日から下之郷~別所温泉は運転、上田~下之郷はバス代行)が続き全線回復の見込みはまだ立っていない(11月7日現在)。
別所線は、今は「しなの鉄道」となった旧国鉄信越本線の上田駅に乗り入れて②、私が訪ねた頃は2両の5250型が有名で「丸窓電車」が別所線の代名詞になっていた。いろいろな旧型車③が走っていたが、最近は旧東急のステンレスカーが主力のようだ。丸窓電車は5252が別所温泉駅構内に保存されている。

赤とクリームのツートンカラーは長野電鉄で、古い電車が1両で走っている④のは、2012年4月に廃線になってしまった屋代線である。1960年代には上野からの長野行き急行「志賀」「丸池」の付属編成2両(キハ57、電車になってからは165のち169系3両)が屋代で切り離されて、志賀高原の温泉地、湯田中に直通(⑤湯田中からの国鉄連絡急行券、屋代経由とある)していた。この急行乗り入れは1982年11月15日に廃止され、その後は長野での乗換が必要となった。その長野で乗り継ぐ特急が⑥であった。製造当初はマルーン一色にステンレス帯で、人気の高い車両だった。「奥志賀」の愛称で1961年に乗ったときの特急券は30円だった⑦。今は元小田急10000型「ロマンスカー」と元JR東日本253系「初代・成田エクスプレス」がそれぞれ4、3両編成に仕立てられて使われている。普通電車には元東急のアオガエルも色を塗り替えられて⑧使われていた。
かつては貨物列車⑨も走っていたが、1979年4月1日に廃止された。この機関車は1957年に北海道の定山渓鉄道がダム建設資材の運搬用に三菱電機で製造購入したED5101と2で、2両とも1969年の同鉄道廃止により長野電鉄に売却されたもの。長野の貨物廃止後は越後交通長岡線で使われたがそこも1995年に廃線となり廃車されてしまった。私鉄の電気機関車としてはなかなか良いサイズ、スタイルだった印象がある。なお、長野電鉄では今年の台風19号による被害は無かったとのこと。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です