• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

20年ほど前、縁あって有名なデニスコレクションの一部を入手した中に、少し大きめの封筒①がありました。その数年前、デニス氏がROTARY ON STAMPS(ROS)の会報で紹介したその封筒でした。差出人は中国の天津ロータリークラブ(RC)、あて先はオーストリアのリンツ・ア・ドナウRCの会長。消印は1934年3月3日。普通の手紙にしては封筒が大きく。中身は何だったのだろうと、いろいろ想像していました。
それから数年の後、Alibrisという古書店のネットワークに「Tientsin RC」の文字を発見しました。1934年天津RC発行。表紙とも40ページ。A5サイズ。クラブや天津の紹介が満載。扱う実際の書店は米国カリフォルニア。と紹介されていました。もしかしてあの封筒の中身?と思いすぐに注文しました。届いた冊子②はその封筒にぴったり収まるサイズでした。封筒はオーストリア宛ですが、デニス氏は米国在住。もしかしたらこの封筒でリンツに送られ、廻り回って私の手元で再び一緒になった封筒と冊子かもしれません。残念ながらその時点でデニス氏は故人。Alibrisも調べてくれましたが、入手元がデニス氏の関係者かどうかの確認はできなかったと、丁寧な返事が届きました。

当時のリンツ・ア・ドナウRCはオーストリアの他のRCとともに1938年、ナチス・ドイツの統治下で消滅しました。現在のリンツ・ドナウRC(アは入っていません)は1985年4月にリンツ南RCとして創立。会員数73名(2018年)、国際ロータリー(RI)第1920地区に所属、2018年にリンツ・ドナウRCに改名したとそのホームページにあります。旧クラブの歴史を引き継いでいるわけではないがその名前を復活させたものと推測します。

天津RCは中国では上海RCに次いで古く、1923年5月10日にRIの1444番目のクラブとして認証されました。この冊子の記述によれば医師と弁護士の2人の米国人が発起人になり、8人の米国人、1人の英国人そして1人の中国人が合意して組織されたとあります。この冊子はその10周年の記念に作成されたもののようです。クラブの紹介や天津市内の名所の案内などでなかなか充実した冊子です。1933-34年度のクラブ会長は郵便局長であり、建築中であった天津中央郵便局の竣工予想図が17ページに掲載されています。クラブの活動は青少年(といっても男子)の育成に力を入れていて、RCが働きかけてボーイスカウトを創設し、ボーイズキャンプやボ―イズウイークなどをスポンサーしています。またレディース国際スポーツイベントも主催して、列強の租借地が多い天津の人々の交流に一役買っていた様子がわかります。
7ページにある天津の地図③によれば、ネイティブエリアはほんのわずかで、第1特別地域にドイツ、英国、フランス、日本の租借地が描かれ、第2特別地域にイタリアとオーストリアの租借地、第3特別地域にロシアの租借地が示されています。この冊子は天津RCが世界の全RCではないにしても、関係のあった多くのクラブに送ったものと思います。市内にオーストリアの租借地があったことからもこの冊子がリンツに送られたのは納得できます。この年度の会員の写真④がこの冊子にありますので紹介しておきます。残念なことに天津RCは中華人民共和国が成立した1949年に解散し、その後まだ復活していません。

以前に上海RCの古い封筒を紹介しました。旧中国のRCがRIなど海外宛てに差し出した封筒は僅かですが存在しています。しかし、天津RCなど中国のRC宛の封筒は、クラブが消滅して70年、ほとんど残っていないようで、この26年間、一度も見たことがありませんでした。海外のディーラーにも声をかけて探していたところ、過日ネットオークションDELCAMPEに出品されました。英国エセックスのロムフォードで差し出された天津RCのC・Chao氏宛の封筒⑤で1940年1月19日の消印があり、裏面に3月3日天津の到着印があります。これは手に入れるしかないと、思いっきりよく落札しましたが、よく残っていたものだと思います。

もう一枚、天津市内から市内宛の返信はがき⑥らしきものが私のコレクションにあります。8年ほど前に同じオークションで米国から手に入れましたが、あて先はアメリカン・ボード・ミッションで、裏面⑦をよく見るとロータリー関係のものだとわかります。2月17日(土)の昼食会への参加申込書で、父親と息子が参加する催しのようです。このハガキの消印の日付は1934年2月9日ですから、先述の冊子や10周年とも関係があるのかもしれません。当時中国ではアメリカンクラブなど、ロータリーと表裏一体の組織もあったようです。


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