• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

昨年8月15日のコラムに書いたように、大型蒸気機関車(蒸機)とはあまり縁のない私だったが、今回はC62型式蒸機(シロクニ)の写真が出てきたので、いくつかご紹介したいと思う。とはいえ我が後輩たる札幌のKH氏はシロクニだけで一冊の写真集を出すほどだから、彼の足元にも及ばないのだが、雑感を交えてコラムにまとめてみよう。

まずは北海道、函館本線。大沼湖畔を行く普通列車①。急行「ていね」の運用間合いに函館~森の運用に入っていたと聞いた。②は1967年の夏、長万部~二股の二俣川橋梁を渡るC62重連の下り急行「ていね」。まだ勾配区間の手前なので、前補機は煙もはかずにやってきた。この頃は伝統ある急行「まりも」が札幌で分断され、函館~札幌の「ていね」と札幌~釧路(根室)の「まりも」に分けられていた。もともと「まりも」は札幌停車中に、座席車の多くが寝台車と入れ替わる、別列車の様相を呈していたのだが、この頃になると当時の国鉄は合理化の名のもとに、利用者には便利だが職員には不評な分割併合などの作業を避けて、乗客には乗換を強要するような施策をとるようになっていた。函館から釧路まで直行する乗客は、札幌で「ていね」から「まりも」に乗り換えねばならなくなっていた。③は②の前日の上り「ていね」。有名な目名~上目名に私も行ってみたのだ。本務機が有名な2号機で、前補機は3号機だった。有名という2号機は、デフレクター(除煙板)に銀色に輝くツバメのマークを残していた④。かつて東海道で特急「つばめ」の先頭に立った時代の名残のものだ。今も保存場所の京都鉄道博物館(旧・梅小路蒸気機関車館)に行けばこの姿に会える。

シロクニは日本最大の旅客用蒸機である。私は自分で撮った写真のうち、⑤でそれを実感している。太いボイラー、黒光りするこの姿は、3号機が現役を引退後に倶知安~小樽でイベント列車「C62ニセコ」を牽いていた頃、倶知安で撮影したもの。ほかに真横からの写真でもその大きさはよくわかる。⑥は1966年夏の西日本一周撮影旅の途中、呉線に寄り、瀬戸内海を見ながら旅した時の一コマ。列車は広島行き下り急行「安芸」で、ほぼ機関車しか写っていないが、1両目の客車はカニ38という一形式1両の珍車(のちに事業用カヤ38になり、千葉の佐倉区によく停まっていた)。ちゃんとした列車写真を撮っていなかったのはナゼか、今もよくわからない。

最後に私とシロクニとのツーショットを1枚⑦。1967年10月1日は常磐線の平~岩沼(仙台)が電化され、その前日9月30日をもってC62が全廃されることになっていた。私は大学の都合で最後のさよなら列車を諦め、その前、9月29日に平機関区を訪ねた。真の目的は磐越東線のD60型式蒸機だったのだが、せっかくさよならのヘッドマークを掲げてきれいに磨かれた49号機がそこにいるのだ。そしてシロクニの最終ナンバーは私と同じ1946年生まれ。何かのご縁とその日知り合った撮り鉄さんにシャッターを押してもらった。隣では特急「ゆうづる」の運用に入ることが多くて有名だった23号機が、向こうを向いて既に眠りについているようだった。49号機の最後の日の雄姿は後日鉄道ファン誌の写真で見た。


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