• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

旧・国鉄信越本線の長野以北は、JR化と北陸新幹線の開業を経て、今は。しなの鉄道・北しなの線(長野~妙高高原)、えちごトキめき鉄道・妙高はねうまライン(妙高高原~直江津)、JR信越本線(直江津~新潟)と3分割されている。かつての国鉄時代には、優等列車も数多く、急行や準急から特急になった「白山」「あさま」、急行「妙高」「丸池」「高原」そして夜行急行「黒部」など、次々と思い出される。電化前には急行白山がD51の重連で峠に挑んだ牟礼~田口(現・妙高高原)~関山のあたりは撮影ポイントも多かった。ある日雪の中、重連の白山の汽笛が聞こえ、いよいよという時、急に吹雪いてきて何も見えない状況になり、悔しい思いをしたあの時のD51の足音は、今も耳にこびりついている。

そんな信越本線北部に、電化後も何回か出かけたことがある。その中からいくつかご紹介しよう。まずは現・しなの鉄道の牟礼北方。①は下り特急白山金沢行き。最大3往復あった「白山」の中で、最初に上野を出る「白山1号」は489系ボンネット車で金沢持ち。客室乗務員も金沢車掌区で、何となく柔らかな雰囲気だった。私は上野から2時間ほどの軽井沢に行くときも必ずといってよいほど、「あさま」ではなく、この「白山1号」に乗るようにしていた。②は上り「白山2号」。「あさま」と共通運用のこの列車は同じ489系でも貫通タイプだった。

やや長野寄り、豊野付近は複線化されていて、③④は同じ下り普通列車の前と後ろ。4両編成全車とも新潟色を纏っていたが元横須賀線の面々。前方直江津寄りはクハ76③。モハ70を2両挟んで最後部長野寄りはクハ75④。これは横須賀線用の元1等車サロ75の座席はそのままに、運転台を増設し、2等(現・普通車)に格下げしたもの。同じ普通運賃でゆったりとした座席に座れるので人気の車両だった。往時の横須賀線の1等車(現・グリーン車)といえば東京付近では最高の客層といわれたその車両も最後は長野~新潟~高崎の上信越ローカルでファンを楽しませてくれたのだった。

⑤は少し北に上がって現・えちごトキめき鉄道の路線から、妙高高原~関山を行く上り普通列車。碓氷峠直通用のEF62が牽くこの普通列車は、7両編成の内4両が荷物・郵便用の車両で、お客が乗るのは3両だけ。ああやっぱりローカル線なのだ、と改めて思った次第。
さらに北上し、直江津から新潟に向かうと、そこは今もJRにはなったが信越本線。日本海沿いで海を入れて列車の写真をと思うと、砂浜と線路の間にコンクリートの壁があったりして、結局こんな場所からの撮影になった。曇天ですっきりしない写真だが、⑥急行「よねやま」はそれでも1等車(現・グリーン車)2両を含む12両編成の堂々たる姿で新潟に向かって行った。


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