• MY HOBBIES / Kenichi Hamana

群馬長野の県境、碓氷峠を新幹線がトンネルで軽井沢に向かうようになって早28年。その新幹線が走る前の34年間は信越本線の横川機関区に配置されたEF63(ロクサン)型式電気機関車(EL)が2両一組で峠の補機を務め、碓氷峠通過用に設計されたEF62型式ELや189系、169系、489系といった電車(EC)とともに信越本線の全盛期といった感じの一時代を築いていた。さらにその前はアプトの時代だったが、その最後の頃は、2018年6月27日のコラム「私の碓氷峠」でご確認いただきたい。

碓氷峠のファンであった私は、アプトの末期から通常の粘着軌道に変わったロクサンの時代を通してたびたび横川~軽井沢の鉄路を利用した。撮影にも何度か出かけたが、今日はロクサンの頃の碓氷峠の列車たちを思い出してみたい。

まずは熊ノ平。列車交換のためにつくられた駅で、かつては特急をはじめすべての列車が停車していた。ロクサンの時代になって2年4か月後の1966年2月1日に駅の役目を終え、信号場となっていた。①はその旧熊ノ平駅構内に残る、アプト時代のトンネルの中から通過する特急「あさま」の姿。あさま色といわれるモスグリーンの帯をまとい、絵入りのヘッドマークを掲げているので1980~90年代の姿である。②は同じ熊ノ平の構内で、峠のシェルパEF63×2に押し上げられてゆく下り特急白山。この白山は金沢持ちの車両で5号車にサロンカーをつなぎ、JRになってからはJR西日本の洒落た制服の車掌が乗務していた。

③は、アプト時代の有名なメガネ橋の下から見た、霧積川橋梁を渡る下り特急「あさま」の姿。奥に見えるのは上り線の橋梁。その橋梁を渡る④は上り貨物列車。信越本線を直通するEF62 (3両目)の前に2台のEF63がついて、三重連で66.7‰の急勾配を長い貨物列車を支えながらやってきた。もう少し左から撮影したかったが、今思うとよくあそこに立てたなと思うぎりぎりの場所だった。

少し下って旧丸山信号場近くで2コマ。⑤は115系3両編成の下り普通電車が2両のEF63に押されて軽井沢に向かう姿。車体は高崎色に塗り替えられていた。⑥は金沢からの上り特急「白山」がシェルパに支えられながら静々と横川に向かうところ。峠の釜めしを車内販売でも、横川駅の立ち売りでも買えた時代。長旅の客にはホッと一息つく頃だったのではないだろうか。

新幹線では1時間ほどの旅になった東京~軽井沢。アプトの時代には碓氷峠区間だけで48分を要し、ロクサンの所要26分の時代になっても、横川と軽井沢での補機解結のための各3~12分停車があったことを思うと隔世の感がある。速さもよいが、旅の味わいも感じられる碓氷峠の鉄路が失われたのは、誠に残念というしかない。


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